邦寿会100周年記念デジタルブック
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1()()()()()()()()()61952年社会福祉法人に組織変更1950年赤川保育所開設(児童福祉法施行)1946年駒川ホーム、赤川ホーム開設1945年豊崎、此花診療院が戦災により焼失1943年財団法人邦寿会に改称1941年財団法人鳥井邦寿会設立1928年此花診療院開設1923年豊崎診療院開設今宮診療院開設1921年邦寿会が創立昭和27年昭和25年昭和21年昭和20年昭和18年昭和16年昭和3年大正12年大正10年 邦寿会の創立は1921年(大正10年)。第一次大戦後の恐慌の中、あらゆる物価が急騰し、米騒動やシベリア出兵などが重なるなど、民生の安定が強く求められる時代でした。サントリー創業者である鳥井信治郎が、大阪の愛隣地区(西成区海道町)の生活困窮の人々に対し、無料診療と施薬を目的とした「今宮診療院」を開設したのがはじまりでした。以来、邦寿会は生活に苦しむ人々の救援に尽力し続けてきました。 1923年(大正12年)には「豊崎診療院」(大淀区豊崎)、1928年(昭和3年)には「此花診療院」(此花区春日出)を相次いで開設。この二つの施設は、第二次大戦の戦災で焼失するまで多くの人々を支えてきました。また、「今宮診療所(元今宮診療院)」は国民皆保険の時代を迎えた1976年(昭和51年)に、当初の目的を果たしたとしてその歴史を閉じました。 終戦直後の混乱期、大阪駅周辺には戦災者、海外引揚者が餓死寸前の状態であふれていました。その惨状を目の当たりにした鳥井信治郎理事長は、大阪市東住吉区に古いアパートを購入し、困難を極める人々を収容するための「駒川ホーム」を設けました。続いて旭区にも身寄りのない人のための宿泊所「赤川ホーム」をスタートさせました。 高度経済成長期を迎え、社会福祉関連法や国民皆保険・皆年金などの福祉政策が拡充するのに合わせて、各施設も事業内容を充実させてきました。駒川ホームは母子寮として、赤川ホームは養護老人ホームと赤川保育所へと発展し、それぞれ大阪における民間福祉施設として数々の実績をあげてきました。 やがて赤川ホームは「高殿苑」、赤川保育所は「つぼみ保育園」として大きく再生飛躍を遂げることとなります。また、駒川ホームは戦後30年の間に大きな功績を残し、惜しまれながらもその使命を終えました。今宮診療院駒川ホーム赤川ホーム赤川保育所邦寿会のあゆみ 1 邦寿会のはじまり2 戦後の邦寿会1920193019401950

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